智山派について

  • 真言宗智山派の始まり

    仏教は今からおよそ2,500年前、インドの釈迦族の王子として生まれたシッダルタ王子が、お坊さんとして修業し、35才の時にさとりを開いてブッダ(さとった人)となられ、80才で入滅するまで、人々に幸せなくらしと心の平安を与え続けたことに始まります。

    お釈迦さまが入滅されてからも、多くの弟子たちによってその教えは伝えられ、その後、数多くのお経として教えがまとめられました。

    やがて、自分のさとり以外に、すべての人々の救済をも願う「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」を説く密教が誕生しました。

    密教はやがて中国に伝わり、中国の長安(現西安市)の青龍寺において、弘法大師空海は恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から、密教の全てを受け継ぎ、多くの経典や曼荼羅(まんだら)、密教法典を持って帰国し、真言宗を開き、修業道場として高野山(和歌山県)にお寺を建立しました。

    それからおよそ300年の後、興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん)が、民衆への布教活動に力を入れるため、根来寺(ねごろじ)を建立し、移り住みました。

    やがて、根来寺は「寺領90万石」と言われるほどに繁栄しましたが、その力を恐れた豊臣秀吉によって焼打ちにあい、学頭の玄宥和尚が京都の智積院(ちしゃくいん)に難を逃れ、今日の真言宗智山派が始まりました。